鑑賞日:2021/8/26
犬カワ映画というより人クソ映画というか
意味のない巻き戻しだよ…
マロナを捨てた最初の女性と、次に捨てた工事現場の男性の妻と、最後死ぬきっかけになった女の子と、マロナが不幸になるきっかけを作る人は大体女性なのがなんとなく気になった。考えすぎかなぁ。
男性キャラの描かれ方は、マロナを拾ってくれたり、嫌っていたけど仲良くなったりと比較的良い描かれ方…のような気がする。
まあ曲芸師の男性の元からマロナが去ったのはサーカスの団長のせいだし。
女の子の母親が請求書の前でうなだれつつ、マロナを見て撫でるシーンはちょっとほっこりしたけれども。
マロナが「私は女の子よ」ってやたらと強調する意味は何なんだろう。別に終盤(おフランス的に)別の犬と恋に落ちる…とかいうわけでもなし。
犬は(子どもがそうであるように)世話する人の都合なんて考えなくてもいいのに…と思ってしまった。
マロナが子犬~成犬になるまでは割とスムーズに描かれていたけど、その後がちょっとてきとうというか。
あの女の子が小学生から高校生?になるくらいまで生きてたら、終盤もう少しおばあわんになっててもよいのでは(確かに子どもを生んでない犬は年いっても比較的若く見えるもんだけど)。
若いころは別の場所へ移っていくことにそこまで恐れが無かったマロナが、急に女の子を懸命に追いかけるまでの心情の変化が唐突だと思った。もう少し補足があっても。「私はここの暮らしになれすぎた」みたいなモノローグとか。
むしろ若いころの方が聞き分けが良すぎるのかもしれない。
人に危害加えてしまうような人に犬なんか預けたら絶対ダメでしょ…。
昼間は調子が良くて前振りとしての幸せと案の定の下げ方、苦手な演出。
作画はスゲーよ確かに。曲芸師の人とその服が特に。
モブ人物は子供の落書き動かしてるみたいな。でも自分はアート素人だから、こういう表現形式が選ばれる理由がよくわからない。
犬から見た世界ってことなのかなぁ。そういうのだと、例えば色が青黄ベースで見えているとか、視覚よりも聴覚嗅覚優位で周囲を把握しているとか、そういう表現を考えてしまうんだけど、そういうのは即物的過ぎてアートにはならないのかしらん。
インサイドヘッドとかソウルフルワールドみたいな、抽象的なことを表現するためにアート系のタッチを使ってるんだな~とかは理解できるんだけど。
工事現場のシーン笑った。あのドリルのやつなんやねんw
工事現場の男性の妻のダチョウみたいな気色悪さは心惹かれる不気味さ。
工事現場の人に引き取られるくだりで、曲芸師の人がマロナを探してる張り紙が一瞬映ったような気がしたんだけど、確認する前にDVD返してしまった。まあ最後にもう一度曲芸師が出てくるとかいうわけでもないから別にいいか…。